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- 100回聞き【24】「道の話」
- 道とは何か? ~魂が成長していく過程~
- ごちそうになったら「ごちそうさまでした」と言うのが礼儀
- お金を払っても「ありがとう」「ごちそうさま」と言う
- お金を出したからいいじゃない ~全部の過程を考えてお礼を言うのが当たり前~
- ついてる神社は天国言葉の道場 ~平気で愚痴を言っているのはおかしい~
- そこのルールがある「それいいですね」 ~みんなが楽しくやってることをぶち壊しちゃいけない~
- 立ち読みはいけない ~マナーをササッとできるように~
- 天国言葉を喋る ~なんか照れくさいでは社会生活は送れない~
- 次の人のことを考える ~できない人に注意してあげる~
- 大好きな人に恥をかかせてるのと同じ
- みんながバンザイやってたらやる ~恥ずかしいもクソもない。やりたくない人は行かない~
- 「郷に入れば、郷に従え」は、精神論者としての最低のマナー
- お金を払っても「ごちそうさま」と言う
- お説教じゃなくて「愛」 ~私のために言ってくれる人がいる~
Youtube(ユーチューブ)動画
100回聞き【24】「道の話」
道とは何か? ~魂が成長していく過程~
はい、おはようございます。
えーと、このテープは「ついてる神社に初めて来たら聞くテープ」っていうテープなんですけど、
聞いた人が、ぜひ100回聞きに入れて欲しいってことで、
100回聞きに入れることにしました。
みなさんも、100回聞いてください。
よろしくお願いしまーす。
はい、おはようございます。
今日は「道の話」をします。
例えばですね、剣道というのは「道(どう)」ってついてるね。
茶道とか華道とかって「道(みち)」というのがついてます。
これは、技術だけの話じゃないんだよ。
「道ってなんですか?」って、
「仏の道」ってのがあるんだよっていうことだよね。
自分がどんどんどんどん仏様に近づいて行く。
死ぬとかってことじゃないよ。
魂的な話しだよ。
魂がどんどんどんどん成長して行く過程を
「道」というんだよっていうことなのね。
例えば、剣道っていうのは、
ただほったらかしてやってけば、人をやっつけたり、切り殺す技なんだけど、
段々段々、江戸時代になってくると、めったに人なんて切りはしないし、
そうなってきたとき、ちゃんと「挨拶」する。
始める前に「挨拶」して、終わった後に「礼」をするっていうのはどういうことかっていうと、
「この人がいるから、自分って強くなれるんだ」ねっ。
「この人がいるから、自分の成長がわかったんだ」
「この人がいるから、自分の弱さがわかったんだ。ありがとうございます」
って言って、必ず挨拶するんだよ、
っていうのが、「道」なんだよね、っていうことなのね。
ごちそうになったら「ごちそうさまでした」と言うのが礼儀
で、あの、ついてる神社なんかでも、
例えば「今日はなんかのスープだよ」っとかって、
まぁ、豚汁作ってくれている人がいたり、
「今日は豚汁だよ」なんて出してくれて、
で、それを食べて、帰りに、ほとんどの人は「ごちそうさまです」って言うの。
だけど、中には「ごちそうさま」も言えない人がいるんだよねって。
で、あの、作っている人が
「いや、別に私、ごちそうさまって言って欲しくてやってんじゃないから、いいんです」って言う人がいるんだけど、
そういう問題じゃないんだよって。
ごちそうになったら「ごちそうさまでした」
って言うのが礼儀なんだよ。ねっ。
で、それもね言えないんだとしたら、
ここで言えないようだったら、どこでも言えないよって。
親にご馳走になっても「ごちそうさまでした」とか、
朝「おはようございます」とか、ねっ。
帰りに「お先失礼しま~す」
とかって言うのが、「人の道」なんだよねって。
で、それがよくできるとか、できないとか、
「いや、ぼく、そういうの恥ずかしいんです」とか、
恥ずかしいもクソもないの。
ごちそうになったら「ごちそうさま」なんだよ。
お金を払っても「ありがとう」「ごちそうさま」と言う
で、そんなことも言えないようだから、社会生活ができないんだよ。
「人間ってのは、ルールがあるんだよ」って。
「言葉のルール」ってのがあるんだから、それを教えてやんなきゃいけないよ。
だから、ここのついてる神社っていうのは、
そういうことを、気持ちよくこちらも、
「この豚汁一杯飲んでいきな」って言う
「愛」なんだよ。
で、出すのも「愛」だけど、
受ける方も「ごちそうさま、ありがとう、美味しかったよ」とかって言うのが
「愛」なんだよ。ねっ。
で、ここに来てて、みんなはひとりさんが好きだから、来たんだと思うの。
ひとりさんの本読んで来たんだと思うの。
だけど、ひとりさんどっか行ってお勘定出すでしょ?って、
お勘定出しても、帰りに
「ありがとね」とか
「ごちそうさま」って言うんだよって。
お金を出したからいいじゃない ~全部の過程を考えてお礼を言うのが当たり前~
すると、「お金出してっから、言わなくてもいい」と思っている人がいるけど、
それ違うよって、ねっ。
300円ですとか、500円、
じゃ、500円や100円玉食べてみな。
お腹いっぱいになるかい?って。ねっ。
お金出したらね、いいんじゃないよ。
魚採る人いる、ねっ。
肉作る人いる、野菜作る人、それを市場売る人がいる。ねっ。
それを買ってきて料理してくれる人がいる。
それで初めて食べられるんだよ。
そこまでの過程を全部考えたときに
「ありがとうね」とか、
「ごちそうさま」って最後に言うのが、当たり前なんだよって。ねっ。
で、そんなこともできないから、社会生活が送っていけないんだよ。
ほとんどの人はできるんだよ。
だけど、あの、ちゃんとできない人がいたら教えてやらなきゃいけないの。
ついてる神社は天国言葉の道場 ~平気で愚痴を言っているのはおかしい~
それと、ついてる神社って、
天国言葉でとか、地獄言葉、これ言っちゃいけないよっていう総本山みたいなとこなんだよ。
どこの地方にあるところも。
それなのに、そこに来て、平気で愚痴言ってたりなんかする人がいるけど、
おかしいよって。
それって、葬式でね、みんなが泣いているところ行って、大きい声で笑い話してたらおかしいでしょ?って。
それと同じぐらいおかしいんだよって。
ここは天国言葉の道場なんだよって。ねっ。
そこのルールがある「それいいですね」 ~みんなが楽しくやってることをぶち壊しちゃいけない~
それから、自発的にね、本部でやってる、
本部ってのは、東京のついてる神社でやってんだけど、
誰がやり出したかわからないんだけど、
「金持札を、財布の中に入れて充電すると良いんだ」って言ってやってるんだよね。
するとね、ああいうのやりだしたら、ねっ。
「それいいですね」って言えばいいだけなの。
「迷信だ」とか
「ああいうの私信じないほうなんです」とか
そこに行ったね、そういうルールみたいなのがあるんだよ。
善光寺に行くとみんなが煙を、お線香の煙をこうやって頭につけたり、体につけたりしているんだよね。
あれを、あそこへ行って
「私は迷信だと思います」とかって言っちゃダメだよ。
みんながその楽しくやっていることを、
ブチ壊したらいけないんだよ。
あんたが何思ってもいいから、それより場面を見な。
よーく場面を見て、みんなが楽しそうな雰囲気で、
ここでこういうこと言っていいかどうか考えな。
もし、言うような人だったら、あんたどこでもやってるよって。ねっ。
「あっ、こういうのっていいですよね~」って、ねっ。
「なんかこうやって煙浴びて、自分もなんか清らかになったような気がしますよ」とかって、ねっ。
相手も傷つけない。
サラッとした自分の意見を言いたかったら、そういうことを考えな。
で、ごちそうになったら「ごちそうさま」ねっ。
立ち読みはいけない ~マナーをササッとできるように~
本でもなんでもそうなんだけど、
こうやって置いてあるからって、
ずーーーっとこうやって本読んでるけどね、
本ってね、立ち読みとかしちゃいけないんだよって。
パラパラと見て、買おうか買うまいかを決めるんだよって、ねっ。
それで、貸し出しの本だったら、借りていってもいいんだよって。
そういう事をマナーとして、
サッサとできるようにならなきゃいけないよ。
天国言葉を喋る ~なんか照れくさいでは社会生活は送れない~
それで、喋る言葉も天国言葉を喋んなきゃいけないよって、ねっ。
お店やっている人も、誰だってね「愛」でスープ作ったんだから、
「ごちそうさま」って言わなくったって、いいつもりだからやってるんだよ。
「タダでも配る」って。ねっ。
おみおつけ(お味噌汁)1個作るったって大変なんだよ。
味噌買ってきて、お湯沸かして作ってるだよ。ねっ。
中にはね、「あー、ありがとうね」って言って、
野菜を持って来てくれる農家の人もいたり、
いろんな「愛」があるんだよ。
その中で、自分はお礼も言わないで食ってて当たり前で、
「いやー、感謝はしてるんだけど、なんか言うのは照れくさくて」とかって言うけど、
それじゃ社会生活送れないよ、ねっ。
ちゃんと、ごちそうになったら
「ごちそうさま」
「お先失礼します」
次の人のことを考える ~できない人に注意してあげる~
それから、
「私、ついてる神社に来ると、充電されて楽しいんです」
あんたばかり充電されてどうするの?
次には、次の人が来たときにね、
あの、お参りの仕方自分が教えるとか、ねっ、
次来た人のために、ちょっとお茶を自分も淹れてあげるとか、
1回目、2回目わかんないのはいいよ。
3回も4回も来ててずーっとこう座ってるだけで、
本当にそれでいいと思ってんの?
そういうとこじゃないんだよって。
ここは、魂の道場なんだよって。ねっ。
で、「1000人に1人ぐらいしか、そういう人っていないんですよ」って、
1000人に1人いたら、そういう人を注意してあげるの。
「あんたダメだよ」って。
ここでも言えないぐらいだったら、世間で言ってると思えないよって。ねっ。
大好きな人に恥をかかせてるのと同じ
「私、ひとりさんの弟子なんです」って、
「私、ひとりさんのこと大好きなんです」
お師匠さんに恥かかせてるのと同じだよ、ねっ。
自分が大好きな人に恥じかかせたらおかしいだろう?ねっ。
誰だってこんな細かい話したくないんだよって。
だけど、千人に一人、万人に一人、ひとりさんが好きで来てるんだろ?って。
だとしたら、俺はそういう人が世間でそういう事をしてる、
みんなにあんたが嫌われるのを見てて、かわいそうだと思うんだよ。
だから、一生懸命喋って教えてるんだよ。ねっ。
誰だって「豚汁一杯でお礼言え」とか言わないよ。
でも、俺はそれを言いたいんだよ。
ここで言ってないあんたは、世間で言ってるとは思えないよって、ねっ。
みんながバンザイやってたらやる ~恥ずかしいもクソもない。やりたくない人は行かない~
で、それから、人がみんなで「バンザイ」ってやってるのに、
自分は恥ずかしそうにしてやらないとか、
みんなが「バンザイ」ってやってたら、やるの。ねっ。
「自分はやってもらって嬉しいけど、人にやるのはなんか恥ずかしくて」って、
恥ずかしいもクソもないんだよ。
ごちそうになったら「ごちそうさま」、ねっ。
みんなが楽しそうに「バンザイ」ってやってたら、自分もやればいいの。ねっ。
「郷に入れば、郷に従え」は、精神論者としての最低のマナー
長野の善光寺さん行って、みんながこうやって、煙浴びて、こうやって体に、ねっ、
「これをやると病気直るんですよ、厄が落ちるんですよ」って言っていたら、
自分もやるの。ねっ。
で、どうしてもやりたくない人は、そういう所に行かないの。
行って能書き言っちゃダメだよ。ねっ。
そういうところに行ったらそうなの。ねっ。
わかるかい?ねっ。
「郷に入れば、郷に従え」っていうのは魂、
精神論者としての最低のマナーなんだよ。ねっ。
お金を払っても「ごちそうさま」と言う
で、帰りに「ごちそうさまでした」とか。ねっ。
ごちそうになってんのに「ごちそうさま」も言えない、
ごちそうになるって、タダで飯食わせてもらって、
「ごちそうさま」も言えないようじゃダメだよ、って。
ひとりさんの弟子というのは、
お金を払っても「ごちそうさま」って言う人なんだよ。
「ありがとうね、美味しかったよ、お母さん」ねっ。
「おねえさん、美味しかったよ」
って言うのが、ひとりさんの弟子なんだよ。
それができるための、ここは道場なんだよ。
そこの道場に来て、愚痴言ったり、泣き言言ったり、ねっ。
ごちそうになっても「ごちそうさま」を言わないようで、
「ひとりさんファンなんです」とか、ねっ。
「弟子になりたいです」とかって。
その前に、自分のやること考えて、ねっ、
日常生活生きてかなきゃダメだよって。
お説教じゃなくて「愛」 ~私のために言ってくれる人がいる~
この言葉が「愛」に聞こえなきゃダメだよ。
お説教で言ってんじゃないよ。
誰だって、お説教なんか言って嫌われたくないんだよ。ねっ。
「あっ、私のためにこうやって言ってくれる人がいる」って、
そう思うのが、このついてる神社に来る人の気持ちだよ。
そういう気持ちで聞いてくださいよ。
これが「道」だからね。
ここを、「道」の場所を「道場」として見てくださいね、っていうことです。
どうもありがとうございまーす。
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