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- 100回聞き【11】「マスターの教え part1」文字起こし
- 人間関係が上手い人が1人いるだけで世の中スイスイ行く
- 気づいたのに「もう少し様子見てよう」は怠け心 ~様子を見てても直るわけがない~
- 気づかないことを注意してくれてありがとう ~注意する方だってツラい~
- この人の言うことを素直に聞こうと思える人が師匠/マスター ~自分に都合のいいことばかり教えてくれる人ではない~
- 例え話|注意とはうんこがついてることを教えてもらったようなもの
- 素直に「ありがとう」と聞ける気持ち
- 世間行って誰でも彼でも注意しまくれと言ってるんじゃない
- 人間は助け合わなきゃ生きられない動物 ~無いものは分け合う。世の中気遣い~
- 気遣いは仕草に出る ~気遣いしてるかどうかは見る人が見ればわかる~
- 人生の失敗の元は「微差」 ~微差だから誰も注意したくない~
- 微差を注意してくれる人が本当にありがたい人
- ちょっと注意されて頭にきていなくなる人は、縁のない人
- 傷つけあうより助け合う ~傷ついて、傷つけあって学ぶ必要はない~
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100回聞き【11】「マスターの教え part1」文字起こし
人間関係が上手い人が1人いるだけで世の中スイスイ行く
はい、おはようございます。
ひとりさんの独り言です。
これもホントに100回聞いてくださいっていう話です。
「お師匠さん」っていう話なんですけど、
まぁ、俗にいう「マスター」っていうやつなんですけれど。
ついてる神社を例に例えるといいんですけれど、
もちろんこれ、社会全般の話ですよ。
ホントにこう色んな人来てくれて、いろいろあるんですけど、
その中でも、やっぱり、ついてる神社って、
みんながこう人間関係を上手くやっていく。
それから、もちろん、人間関係が上手い人が1人いるだけで、
ホントに世の中がこうスイスイ、スイスイ行くし。
で、人間関係の悪い人がいると、あっちつかえたり、こっちつかえたりするから、
自分がつかえるだけじゃないんですよ。
交通事故とおんなじで、自分がぶつかれば相手だって傷つくからね。
だからやっぱり、そういうのっていうのは、
明らかにこう、法則、生きていく上の法則みたいのを間違っちゃっている人がいるんだよね。
で、そんなのを覚えて、人がぶつかり合わないで仲良くいく、
この「言葉」「笑顔」「身のこなし」みたい、そういうのを勉強していこうじゃないかっていうところだと思うのね。
だから、魂のグレードが上がるっていうから、
スキルアップするようなことだと思うんだよね。
気づいたのに「もう少し様子見てよう」は怠け心 ~様子を見てても直るわけがない~
で、よくあのこう見てて、
「うーん、この人こういうところがちょっとアレだから注意してあげなきゃな」っていう人と、
「もう少し様子見てよう」っていう人もいるんだよね。
だけど、もう少し様子見てようっていうのは、
様子見てから注意しようっていうのはね。
本来は「気がついたのに注意したくない」っていう、本当は怠け心なの、本来は。
なんでかっていうと、
様子を見てたらそのことがわかったんだよね。
それ以上様子を見てたからって、直るわけがないの。
もし、ほっといて直るんだったら、その人が何十年も生きてて、
直ってないわけがないんだよね。
それが直らないっていうことは、気がついてないんだよね。
で、気がついたことをちょっと教えてあげる。
「あなたさ、こういう風にした方がいいよ」
「あぁ、そうなんですか」
気づかないことを注意してくれてありがとう ~注意する方だってツラい~
凡人って言うのはね、注意されると面白くないから怒ったりするの。
でも、魂の修行みたいのしてる人は
「ありがとうございます。自分の気がつかないところを気がついてくれて、注意してくれてありがとうございます」
なぜかっていうと、魂の修行をしてる人っていうのは、
注意されると面白くないって言うけど、
注意する方だって、人のこと注意するってツラいんだよ。
「それなのに言ってくれるって、ありがたいなぁ」って。
この人の言うことを素直に聞こうと思える人が師匠/マスター ~自分に都合のいいことばかり教えてくれる人ではない~
それから、人間ってのは注意されると誰だって面白くないのかもわからない。
でも、それではまったく人生って向上しないし、よくもならないんだよね。
で、そのときに、この人の言うことなら聞こう。
この人の言うことなら注意されても、
自分は、自分のことを思って言ってくれてるんだから、
素直にこの人の言うことは聞こうっていう、
そういう人をお師匠さん、マスターって言うんで、
自分の都合のいいことばっかりを教えてくれる人を
マスターとかって思ってたら、それは違うんだよ。
例え話|注意とはうんこがついてることを教えてもらったようなもの
自分が例えば、汚い話だけど、
自分が体にうんこつけてれば臭いよね、って。
で、「うんこついてっから、あんたキレイにしな」って。
で、それを「うんこはついたままで、香水さえかければいいんだ」って言うけど、
うんこと香水混ぜたって、どんな臭いになるか考えてみなって。
それより、そういうことを注意してくれたとき、
「ああ、ありがとうね~」って。
素直に「ありがとう」と聞ける気持ち
で、そのことをずーっと様子見てて、
その、お師匠さんのね、この人お師匠さんって選ぶときは、
この人、自分のこと思って言いずらいことを言ってくれてるんだ。
だから、その、いつもイライラしているようなお師匠さんじゃしょうがないよ。
いつもガミガミ、人のことばっか言って、自分がね髪の毛振り乱したり、
汚い格好してるのに、人のことばっかり注意してるのってとかって、
それは、そういう人をお師匠さんに選ぶ方がおかしいんだよ。
だけど、この人をっていったとき、
ある程度ちゃんとした人が、ねっ、
もしかしたら自分のことなんか構わなくったって、十分生きていけるような人っているの。
そういう人が、わざわざ
「あなた、こういうふうにした方がいいよ」
「君、ここはこうやってやった方がいいよ」
って言われたとき、
せめて素直に「ありがとう」って聞けるぐらいの気持ちがなかったら、
魂の向上っていうより、生活の向上もそうだよ。
すべて人間っていうのは、上へ上へって上がってきたじゃない。
誰かと競争するっていう意味じゃないんだよ。
より、人間らしい生活を送りたい。
そうしたら、わからないことを注意してくれたら
「ありがとう」
っていうことだよね。
で、そういう人がまた、周りに出てくるの。
世間行って誰でも彼でも注意しまくれと言ってるんじゃない
でね、これ誤解しないでよ。
全然関係ないね、コンビニなんかで立ち読みしている人を
「あんた立ち読みしちゃダメだよ」とかって、
そういうことを言えって言ってるんじゃないんだよ。
自分が親しくなってきて、
お互い魂が向上し合おうよとかっていう、ねっ。
人間性を向上してこうよっていう集まりの中の話してるんだよ。
世間行って誰でも彼でも注意しまくれって、そういうことを言ってるんじゃないんだよ、ねっ。
人間は助け合わなきゃ生きられない動物 ~無いものは分け合う。世の中気遣い~
特に、ああいう、ついてる神社なんか集まってきたときにね、
お互いが、みんなで人間って何が必要なんですか?って言ったとき、
人間っていうのは、助け合わなきゃ生きられない動物なんだ。
で、神と人間とのあいのこで、動物とは違うんだよね。
助け合いとか色んなことするからね。
だから、その中で、お互いが助け合っていかなきゃいけないんだよね。
ホントにそうなの。
あの、極端な話だけど、お客さんが10人いて、ねっ。
みかんが例えば5個しかないとするじゃない。
そしたら、自分ばっかりバカバカバカバカ食ってて、
3個も4個も食べちゃう人いるけど、
別に食べちゃいけないって言ってるんじゃないんだよ。
たかだかみかんの話なの。
みかんが5個で、人間が10人だったら、みかんを半分にすればいいだけなんだよね。
半分ずつ食べれば10個になるんだよねって、ねっ。
たったそれの、気遣いなだけだよね、世の中って。
だから、無いものは分け合う。
あるものは出し合って、みんなでこう仲良く生きていかなきゃいけないんだよね。
それをフッと忘れてしまうことがあって、
で、またそういう人っていうのは、
全然気づきがないだけなの。
ホントは他の人がただみかんが嫌いだと思っているから、
食べちゃってるかわかんないんだよ。
気遣いは仕草に出る ~気遣いしてるかどうかは見る人が見ればわかる~
だけど、そういうのって不思議なもんでね。
見る人が見るとわかってるの。
気遣いをしている人か、してない人かっていうのがわかるの。
「ごちそうになりま~す」とか、
「みかん美味しいから食べていい?」とか、
ホントにそういうもんで、
あの、なんていうの、変な話で、
「私ばっかりこんな食べちゃっていいの?」とか
気を遣っている人って、気を遣っているようなことを言いながら食べるか、仕草に出るの。
だけど、まったく気を遣ってない人って、
ホントにこう見てて、バカバカバカバカ食べてるんだよね、って。
人生の失敗の元は「微差」 ~微差だから誰も注意したくない~
で、そういう人って、ツイてる神社だけじゃないの。
よそでも必ずやってるの。
で、それがその人が気がつかないけど、嫌われてたり、
その人が人生失敗しちゃってる元だったりするの。
それで、些細な事なの。
だから、人間ってあんまりね、極端にブスッとするとか、人を刺しちゃうとか、
泥棒しちゃうとか、悪口言いまくってるとか、
あんまりそういう人っていないの。
そういう人は稀だからね。それは犯罪者だから。
だけど、犯罪も犯してないのに、どうもうまく行ってる人と行ってない人って、
その「微差」なの。
だから、その「微差」を、
「微差」だから誰も注意したくないんだよ。
微差を注意してくれる人が本当にありがたい人
だけど、その「微差」をね
「ちょっとちょっと、今度ね、あの、こういうのちょっと気をつけてごらん?」って。
で、それを言われたとき、
「微差」を注意してくれる人が本当にありがたい人なの、ねっ。
のべつ幕無しに小言みたいの言ってろって言ってんじゃないんだよ。
だけど、ジーっと見ててくれて、観音菩薩の気持ちで相手が言ってくれたとき、
「ありがとうございます」って言えるだけの、やっぱし気持ちを持った人が、
みんなが、魂向上してこう、っていう人間なの。
ちょっと注意されて頭にきていなくなる人は、縁のない人
で、中には、ちょっと注意されたら、そのことが頭にきて来なくなる人もいるの。
でも、それはそれで縁のない人なの。
それは、あっちこっち行って傷つけあいながら学ぶ人なの。
傷つけあうより助け合う ~傷ついて、傷つけあって学ぶ必要はない~
だけど、人ってなにも傷ついて、
自分を傷つけあって学ぶ必要ってないんだよね。
お互い知ってる人が教え、
知らない人が「ありがとう」って言い、
それで、円滑に「ああ、そう、良いこと教えてくれてありがとね」って
それだけで、人間ってどんどんどんどん向上できるんだよね。
傷つけあうより助け合う。
人間って、助けあって生きていく動物なの。
それで神に近づいていくんだよね。
だから、この話も、細かい話って実は私大っ嫌いなの。
でも、大っ嫌いだからっていって、言わないようじゃなくてね。
大っ嫌いなんだけど、その細かいことで本当に苦しんでるの。
大きいことは分かってるの。
だから、その細かいことが、もし、どうしても目についたら、
ちょこっとだけね、注意してあげて下さい。
それで、また細かいことを注意されたら、
その人に「ありがとう」って言える心を持って下さい。
本当に、つまんない話かもわかんないけど、100回聞いて下さい。
よろしくお願いしまーす。
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