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- 100回聞き【25】「エゴと悟りの話」文字起こし
- 悟りとは何か? ~心が穏やかで、幸せな気分になるはエゴ。悟りではない~
- やらないことに「徳」がない
- 方便を使い分ける ~どう言ったら相手が聞きたくなるかを一生懸命考える~
- 悟ったら一生懸命教える ~「自分が悟ったからいい」って幸せそうな顔して生きてるんじゃない~
- 最後死ぬ前まで教え、人に尽くした
- どうしたら聞いてくれるか?を考え、一生懸命行う
- 「一銭の得にもならないからしない」という人が、「徳」がない人
- ダルマの行い ~悪い因果(カルマ)を解消していく~
- お金で解決できない ~悪い因果を解消するには、自分が徳を積むしかない~
- 良い行いをして、笑顔で、相手のためにどうすればいいかを真剣に考える
- 失敗してもすぐ起き上がる ~100回転んでも100回起き上がる。それで上手くなっていく~
- 人のせいにしたら徳0点。渡しただけだと徳1点。
- 相手が聞きたくなる方便を言ったから、色んな人が来た
- エゴと悟りはえらい違い ~自分ができるようになったは1。自分の幸せばかり考えている人はエゴ~
- 人様の役に立ちがしたら悟りの道。それが幸せ。
- 付随説明(追伸)
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100回聞き【25】「エゴと悟りの話」文字起こし
悟りとは何か? ~心が穏やかで、幸せな気分になるはエゴ。悟りではない~
はい、おはようございまーす。
テープ100回聞き終えてくれてありがとうございます。
これは、100回聴いてくれた人に、聞いてもらいたいテープです。
どういうことか?って言うとですね、
「悟りの段階」ってのがあるんだけど、
みんながよく「悟り」というものを誤解してる人がいるんです。
それで、例えば、悟るっていうと
「ああ、悟と心が穏やかになるんだ、幸せな気分になるんだ」ねっ。
「悩み事とかなくなちゃうんだ」
っていうのを、悟りっていうふうに思ってる人いるんだけど、
それは悟りではないんです。
だって、そのことってずっと聞いてると、
「自分が落ち着いた気持ちになって、大らかになって」って。
ずーっと自分のことを言ってるんだよね。
で、終始一貫、自分のことを考えてる人っていうのは、
それを「エゴ」っていうの。
で、そういうことじゃないんだよって。
やらないことに「徳」がない
例えば、自分の親とか兄弟とか、周りにいる人いるよね。
で、そういう人に、例えばうちの、
例え話だよ、例えば、うちの100回聞きの今やってるテープね、
「これ聞きな」って渡すよね。
そうすると、渡さない人もいるよね。
「えぇ、あの人たち、だって聞いてもしょうがないのよ」
「分かりっこないし聞かないよ」って。
でもそれって「徳」じゃないよねって。ねっ。
「お母さんこれ聞きな」って言って、
あなたはちゃんと「徳」を積んだんだよねって。
聞かないのは向こうの問題だよねって。
「どうせ聞かないわよ」って、
やらないことが「徳」がないんだよね。
方便を使い分ける ~どう言ったら相手が聞きたくなるかを一生懸命考える~
じゃあ、渡すとするよね。
渡しますよって、「私、渡してきました」って言う人いるけど、
ホントにそれって、徳で言うと、渡さないよりは徳は1なんだよね。1点かもわかんない。
でも、そこのとき、ずーっとこうやって見てて
「うちのお父さんって、すごい犬猿主義でそういうの聞かないのよ」って。
だとしたら、方便だよ。
「このテープって、経団連の人たちとか、事業家の人たちが1本100万円で取引してるのよ」、ねっ。
「だから、本当にすごい」って、
「私も聞いてビックリした」
って言ったら、相手は聞くかもわからない。
それから、若くて、芸能界のことが大好きな、
「芸能界の人たちで、ねっ、これ聞いてる人って多いのよ」って。
ホントに多いんだよって、いるんだよって。
芸能界の人たちでね、事業家でも聞いてるんだよ。
だから、それを「どういう風に言ったら、相手が聞きたくなっちゃうだろうか?」
で、そのことを一生懸命考えるの。
で、そのことって、自分にとって一銭にも得にもならないよねって。
で、「一銭の得にもならないことを、どうしたらあの人は聞いてくれるだろうか?」って
じーっと考えてて、「こうだよ」って言って、ねっ。
人のために愛のある、随所随所にこの方便というのを、
その人によってパッパッと使い分けられる。ねっ。
悟ったら一生懸命教える ~「自分が悟ったからいい」って幸せそうな顔して生きてるんじゃない~
お釈迦様でいうと、
お釈迦様って「自分が悟ったからって、いいんだ」って幸せそうな顔して生きてたんじゃないんだよ。
ちゃんとお弟子さんたちを集めたときに、
ものすごく宇宙の大真理からなにから、ものすごい深遠なことがあるじゃない。
その深遠なことを「私は弟子になりたいんです」ってこうやって来たときに、
ものすごく学問も何も、何もない、例えば、お百姓さんだとすると、
「いいかい」って、
「麦を収穫したかったら麦の種をまくよね?それって当たり前だよね?」って。
「あなたが幸せになりたかったら、相手を幸せにしてあげる徳をまけば、
絶対、徳が出てきてそれを刈り取るんだよ。刈り取る日が来るんだよ」
って教えてあげるんだよ。
「変なことしたり人に嫌がらせやなんかしてると、
それがやがて実って、刈り取らなきゃならないんだよ」
って、お釈迦様って一生懸命教えてんだよ。
それを、「俺は悟ったんだ」とかって言ってるのっていないんだよ。
最後死ぬ前まで教え、人に尽くした
「悟った後、人様のお役にどうして立てるだろうか?」って、
で、そのことに、死ぬまでだよ、
死ぬまでお釈迦様って、弟子連れて歩いてて、
で、横になって、横になってですら、周りにお弟子さんがいっぱいいたんだよ。
最後死ぬ前に、涅槃(ねはん)になって、死ぬ姿、死ぬ前まで教えてたんだよ。
みんな、死ぬ前まで「何かお言葉を」って言って待ってたんだよ。
そこまであの人は尽くしてたんだよ。ねっ。
自分が悟って「ああ、悟ったんだ」とか、言ってるんじゃないんだよ、ねっ。
「どうせ聞いても分かんないのよとかって」よしな。
だって心を治すためのものなんだよ。
だから、「あの人は病人だから、うちの病院いはいれない」って言ってるのと同じなんだよ。
どうしたら聞いてくれるか?を考え、一生懸命行う
で、「あの人のことは私ね、あの、親でも兄弟でも親戚でも、あの人は嫌いなのよ」って。
「嫌いってなんなんですか?」って言ったら
「自分で自分の機嫌を取れない人だから、嫌いなんでしょう?」って。
「全力を尽くさない人だから、嫌いなんでしょ?」って。
「徳のない人だから、嫌いなんでしょ?」って。
知らないんだよ、相手は。
その人たちにフッと教える。
そのときに「どうしたら聞いてくれるか?」
このことをじーっと人様のために、じーっと考える。
それで、一生懸命行う。
「一銭の得にもならないからしない」という人が、「徳」がない人
で、みんながやらないのは、
自分にとって一銭にもならないし、得じゃないからでしょ?って。
「得じゃないことはしない」っていう人を、
「徳がない人」だっていうの。ねっ。
ダルマの行い ~悪い因果(カルマ)を解消していく~
良い行い、良い行いをすることと、悪い行いをすることがある。
悪い行いをして出てくる結果を「カルマ」っていうの。
で、良い行いをすると、それを「ダルマ」って、
ダルマさんのダルマさんの、ダルマっていう言葉ね。
あれは良い因果を積む。良いことをするね。
それをダルマっていうんだよ。
だから、人間って、前世から持ってきたもの、
今世自分が作っちゃった悪いもの、
これを変えるのを、「ダルマの行い」って言うんだよ。ねっ。
で、このダルマの行いをずーっとしてるじゃない。ねっ。
で、これをずーっと行ってると、悪いことが解消されてくるの。
お金で解決できない ~悪い因果を解消するには、自分が徳を積むしかない~
それで、1個だけ覚えといてもらいたいのが、
こういう話を聞くと、ねっ、
「どこどこのなんとかっていう、ねっ、偉い人がいて」ねっ、
拝み屋さんだか、お坊さんだかなんだか知らないよ。
その人が、
「あなたのカルマを解消してあげるのに、こういう呪法を行えばいいんだ」って、
「こういうあれをやってあげるからお金を出しなさい」
とかって言うけど、
悪い因果を解消するのは、徳を自分が積むしかないんだよ。
それを「お金を出して解決してくれる」って言ってるヤツもおかしいけど、
「お金を出したら済む」と思ってる方がおかしいんだよ。
因果が金で買えるわけがないんだよ。
そういうことを思うこと、考えることが、因果を積んでることなの。ねっ。
良い行いをして、笑顔で、相手のためにどうすればいいかを真剣に考える
それより良い行いをして、自分で自分の笑顔をちゃんとして、
人様にできることをして、相手のために、
「この人を、このテープを、例えば、聞かせるにはどうしたらいいだろう?」
って、そういうことを真剣にこうやって考えて、
「この人にはこれなんだ」って。ねっ。
いくら、政治家が好きで「政治家でもこういうの聞いてる人いるのよ」
って言ったら上手くいったからって言って、ねっ。
18とか19で政治家なんかに興味のない人間に、同じ事言ったらおかしいでしょ。
失敗してもすぐ起き上がる ~100回転んでも100回起き上がる。それで上手くなっていく~
でも、一生懸命やっても、
一生懸命徳を積もうとして失敗しちゃうことがあるの。
失敗しても
「あ、あそこが私、失敗だったんだ。だからここを変えよう」
「今度、この言い方を変えよう」
って言って、すぐ起き上がらなきゃいけないの。
だから、ダルマさんって、七転び八起きってことは、
100回転んでも100回起き上がるんだよ。
それで段々段々、上手くなってくの。
人のせいにしたら徳0点。渡しただけだと徳1点。
だから、ダルマの行いでも、
「いや~、昨日ちょっと失敗しちゃったんだよ」って、
で、失敗する度に
「まったくアイツはダメなんだから」
って人のせいにしたら、もうそれは「徳」じゃないんだよ。
「自分の言い方が未熟だったんだ。今度は失敗しないようにしよう」って、
「今度はこういう風にしよう」って、ねっ。
相手のために、そこまで考えられる。ねっ。
すると、「これ聞きな、って渡しといたのよ」って、それ徳1点だよ。
それで、100点くらいの徳を積んだぐらいのつもりでいるけど、
本当にそうじゃないよね?って。ねっ。
相手が聞きたくなる方便を言ったから、色んな人が来た
相手のために、相手が聞きたくなっちゃうような方便を言ったら、
だから、お釈迦様のところには色んな人が来たの。
確か、80いくつくらいで死んだと思うんだけど、
あの当時だったらものすごい高齢なんだよ。
で、そこの、涅槃(ねはん)に入っているときまでお弟子さんが来てたんだよ。
説いで、説いで、そのことを、ずーっと法を説いてたんだよ。
そりゃ、木こりも来れば、政治家も来る。王様まで来るんだよ。
すると、王様なら王様に分かるように、乞食の人もいる、らい病(ハンセン病)の人もいるんだよ。
そういう人に対しては「どうしてだろう?」って
ずーっとやり続けてたんだよ。
エゴと悟りはえらい違い ~自分ができるようになったは1。自分の幸せばかり考えている人はエゴ~
で、「自分が悟る」なんていうのは、
「自分が幸せになって、このテープ100回聞きました」
「自分が出来るようになりました」
なんてのは、1なの。
でね、自分の幸せばっかし考えてる人は「エゴ」だよ。ねっ。
「エゴ」と「悟り」はえらい違いなんだよ。
人様の役に立ちがしたら悟りの道。それが幸せ。
それで、人様の役に立ちだしたら、
「悟りの道」にどんどんどんどん入っていくの。
で、本当にそれが幸せなの。
これ、宗教的な話じゃないんだよ。
心の問題なの。
仕事でもそうなの。
「どうしたらもっといくだろうか?」って。ねっ。
心の問題だから、どんどんどんどんそれをやっていけばいいの。
それで、本当にこのテープも、100回聞いてください。
100回聞くと、「あぁ、そうだよな」って。
もう、わかる人たちだからこそ、あなたが、ねっ。
あの100回聞きのテープを終えたんだと思うの。
未熟なもの同士がみんな集まって、また顔晴(がんば)ってやっていきましょう。
よろしくお願いしまーす。
付随説明(追伸)
方便とは嘘をついてもいいということじゃない
はい、付随説明でーす。
今のあの、方便のところで、
「このテープは事業家の間で、1本100万円で取り引きされてるんだよ」
っていうのは、嘘を言ってるんじゃないんですよ。
本当にこのテープの元版っていうのは、
これで講演会のテープが出来ちゃうくらいで、
正直いうと、何千とか何万枚って売れちゃうんです。
だから、金額にすると100万円やそこらの問題じゃないんですよ。
で、「方便」っていうのは、
嘘をついてもいいということじゃないんですよ。
相手がどうしたらわかってくれるか? ~相手が分かりやすい説明をする~
「相手に、解りやすい説明をしてあげる」ということで、
「どういう説明をしたら、相手が分かってくれるかな?」
っていう意味のことを言ってるんですよ。
だから、「方便」と「嘘」とは違うんですよ。
相手のことが、解りやすい、愛情を持ってどうして説明したらいいかな?っていう事だから、
そのことを勘違いしないで下さいね。
じゃ、よろしくお願いしまーす。
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